2005年08月06日

原爆の日

「過ちはくりかえしませんから」

の主語は「日本」でも「アメリカ」でもなく

「我々人類は」であるべきと思う。

***

それにしても

なにげなく合い言葉のように唱えていた

「核のない平和な世界を」

というスローガンの空虚さにいまさら気付く。


核のない世界が実現可能かどうかはともかく、

核をなくせば平和がくる、と言わんばかりのこの言葉に

どれほどの実感を持てるというのか。

これだけははっきりしている。

「核がなくなっても平和にはならない」

むしろ抑止力を失った世界では抗争はますます激化し、

また別の大量破壊兵器の開発に拍車がかかるだけ。

そんなことはみなが承知している。

悲しいことに人間とは同類同士で殺しあいができる生き物なのだ。

より優位な環境での種の保存を運命付けられて

他者との淘汰に勝ち抜く為の好戦的資質を

あらかじめ遺伝子に組み込まれてでもいるのだろうか。

太古からたった今この時まで

世界のどこかで休みなく繰りかえされる殺戮の歴史をまのあたりにして

「進歩や学習」などと言うものは「思想や本能」にあっけなく駆逐されることを

イヤというほど思い知らされた私達だ。

そう思うと、このさき未来永劫

「地球上のすべてが平和」な世界などありえない気さえしてくる。

そう。

きれいごとで「核廃絶=平和」を唱えることは思考停止にも似る。

むしろ自国の安全のみを保つあやういバランスを『核』に頼っているのが現実だ。
※隊長さんのコメントに同意8/19加筆修正

それでも、たとえどんな矛盾を生むとしても、

この世から無くさなければならないのがまた『核』なのだ。

成熟しきっていない人類程度の叡智では扱いきれない悪魔の持ち物を

間違って持ってしまっただけなのだ。

その恐ろしい真の姿はアメリカの一般人には知らされていない。

情報統制は、なにも共産圏だけではないのだ。


それを一番知ってるのは広島と長崎だから、

ハリウッド映画で「広島型の何倍」とか、ただの破壊力の基準にされている

かっこうの実験の地となった広島と長崎であっても

被害者としてではなく、

スポークスマンの義務があるから、

好むと好まざるとにかかわらず

やっぱり毎年言いつづけるのだ。


だから「平和のため」とか、

「どっちが被害者か加害者か」とかの問題を

『核廃絶』の議論に持ち込むのは現時点では意味がない。

むしろ論点をブレさせる障害だ。

まったくの別次元で、ただ地球人として、

『核』の存在自体を許してはならない!

と世界中の人が確信することこそが今必要なのだ。

***

宇宙人の視点をもって俯瞰から見れば、

自らの星を放射能で汚染し痛めつけ、天につばする生物は

さぞ不思議に見えることだろう。
posted by みんと at 06:18| Comment(5) | TrackBack(2) | 華麗なる日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
兵器としての核だけでなく資源としての核も危ういですよね。
省エネももしかしたら平和への取り組みになるかもしれない。
Posted by まる at 2005年08月09日 22:59
そうそう。原発なんて一番身近で危険な核よね。
使用済核燃料処理のズサンさとか知らされてないから
今はみんな無関心で平気でいられるだけで。
何十年後にどんな影響が出るか、アスベストの1万倍怖いよ。

>省エネももしかしたら平和への取り組みになるかもしれない。

まさにそうよね。ちょっとの不便や不快は我慢して省エネ!
Posted by みんと at 2005年08月10日 02:41
抑止力によって保たれているのは「安全」であって、「平和」ではない・・・。
平和とはすべての人が安息に暮らすこと。
安全とは、自分以外のすべてがドロドロの覇権競争や戦争状態にあっても、自分だけは安息であること。

僕は核抑止力によってもたらされるのは安全のみだと思うのです。
Posted by 隊長 at 2005年08月19日 23:15
隊長さん、コメントありがとうございます!!
まったく同意です。
mixiの記事にも共鳴しておりました!
言葉足らずでしたが自分も言いたいことは同じだったので
アドバイスを受けてさっそく加筆修正してみました。

更新さぼってますが早いとこサッカー記事も書かねばですね。汗
その節はまたコメントよろしくです!!

Posted by みんと at 2005年08月20日 00:51
お初にお目にかかります。透姫と申します。

今学校の宿題で原爆についてのレポートを書いているのですが、(自分でテーマを選択するもので、私は原爆を選びました。)
日本人は戦争に関するスローガンとしてよく『No more Hiroshima』と言うのに対し、アメリカ人は専ら『Remember Pearl harbor』であるということに私は今些か疑問を感じています。

双方とも何人もの罪のない同胞を失った事に変わりはないのに、日本人はもう二度と繰り返さないことを誓い、アメリカ人は復讐のみに執着する・・・。これは只の民族性なのでしょうか?

今再び核を持ち、再び過ちを繰り返そうとしている国はいくつもあるけれど、それは本当に自分達の求める世界を作れるのかどうなのか。

仮に聞いてみたとしても、即答で『はい』と答えられる人なんて、きっと少ししかいないと思います。
Posted by 透姫 at 2006年08月10日 22:05
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